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賑やかなホストクラブの店内を横目に、さっさと2階に駆け上がり、事務所の扉前に立ってノックをしようとしたのだが――。
「ん……? 喘ぎ声?」
ハッキリとは聞き取れないが、高めの声が漏れ聞こえる。中にはオーナーである、義兄さんがいるはず。どこぞの誰かとヤっちゃってる最中なんてありえない。 俺が顔を出すと知っていながら、堂々とそういう行為をする人じゃないことは分かっていた。
(基本的にイジワルな義兄さんだけど、こういう線引きはしっかりした人で、場の空気に流されることなく、むしろ相手を散々翻弄するタイプだからこそ、あり得ないんだよな、この展開は)
いやぁっ! なぁんてエロい声をじっくりと聞きながら腕を組んで考えていても、埒が明かない。思いきって、扉を軽快にノックしてやった。
「はぁっいっ、どうぞ……」
ドキドキする胸を抱えて、失礼しますと言いながらゆっくり扉を開ける。
「ひっさしぶりっ……って、いってぇな、んもぅ!」
目の前に展開されている姿に、何て言葉をかけたらいいのやら。大きなソファにうつ伏せになって横たわる義兄さんに、見知らぬ男が跨っていた。
「昇さん、もう少し体を労わらないと。これでもかなり、優しく施しているのに」
見知らぬ男が大きな手を使って、やわやわと腰を揉みながら俺の顔を食い入るように見つめる。その目が三白眼で、凄みが普通じゃなかった。義兄さんの新しい恋人だろうか?
「そんなところに突っ立ってないで、座ったらどうだ」
唐突に強面の男に話しかけられ、頷いておどおどしながら向かい側のソファに腰掛けさせてもらう。その間も視線は、しっかりとこっちに釘付けのままだった。
「ふぅん……、いいモノもってるのな。流石は、元ナンバーワンホスト。随分、啼かせてきたんじゃないのか?」
「ちょっと昴さん、いきなり初対面でそれを指摘するとか、卑猥すぎるんだけど……って、いたたっ!!」
「はいはい、年寄りは黙って揉まれていればいいって。それに初対面だからこそ、俺の特技を披露したまでだし」
なぁと気安く話しかけられ、会話に入れといわんばかりに振られても正直なところ、返答に困るネタだ。実際に見せろなんて、強請られたりはしないだろうか?
「紹介が遅れたね、義理の弟くん。俺は笹川 昴(ささがわ すばる)。名字名前両方にSが付いてる生まれつきのドSで、某団体企業の幹部社員。特技は相手の弱いトコを的確に見極められることと、顔を見ただけでソイツがどんなモノを持ってるか分かっちゃうことで~す。宜しくね!」
「ちょっと、マトモな自己紹介すれって。まったく……。それでヨロシクやってくれる人間、俺くらいしかいないんじゃないの?」
跨っている男を強引に押し退けてソファに座り直し、乱れた短い髪の毛を手串で整えながら、こっちを見る義兄さん。
千秋が教えてくれたように髪が短いだけで、随分と印象が変わるものだな――。
「お前が店を辞めるきっかけになった、あのゴタゴタを処理してくれたのが昴さんなんだよ。お蔭様でその後、平穏に過ごすことができているんだ」
義兄さんの言葉にソファから立ち上がり、きっちり頭を下げた。
「井上穂高です。その節は、大変お世話になりました」
「なぁなぁ漁師なんて辞めて、ウチの事務所で働かないか? 俺の舎弟になってくれよ」
「は……?」
きょとんとする俺を見やり、義兄さんがゲラゲラ笑い出す。
「何だよ、昇さん。俺は真面目にスカウトしてんのに。こんな美丈夫を毎日拝めるなんて、目の保養じゃないか」
某団体企業の偉い人に、スカウトされた俺っていったい……。この話を千秋にしたら、義兄さんと同じように笑い出すだろうな。
「目の保養って可愛い義弟をヤクザにするつもりなんて、さらっさらないからね。塀の中にいる恋人に密告してやるぞ、浮気しようとしてるって」
――塀の中にいる恋人って……?
「それはヤベェから! ただ指を咥えて見るだけにするって。目の保養だけにするからさぁ、なあ?」
またまた話を振られ、何と答えたらいいのやら。ニッコリ微笑んでいるけど、目が笑っていないのが更なる恐怖心を煽っていた。ゆえに、余計答えられない。
「穂高、聞いて驚け。昴さんってこんなコワモテな顔してるクセにネコなんだよ。この目に見つめられながらヤることができるヤツは、大したタマだと思うけどね。脅されて、仕方なくっていう」
確かに――すごく恐すぎて、おちおち興奮していられないかも。
「あ~あ、昇さんの言葉に納得した顔をしちゃったじゃないか。でも否定しないぜ、実際に俺の恋人はすげぇヤツだからな」
言いながら、柔らかい笑みを浮かべる。
さっきの笑みに比べると、全然違う笑い方だ。それはきっと心の中で、恋人の姿を思い出しているからか。
「穂高といい昴さんといい、俺の前でデレデレした顔してくれちゃって。独り身はつらいわー」
「義兄さん、俺はデレデレなんてしてません」
キッパリと言いきったというのに、向かい側にいるふたりは顔を見合わせて、呆れた顔をしながら肩を竦めた。
「この後、恋人のところに行って思いきりヤっちゃいますって顔を、モロに出してるっていうのに、断言できるのがある意味、大物っていうか」
「でしょ。俺の義弟は凄いんだよ。まぁ穂高自身、自分の顔が見えないからこその発言だけどね」
口々に言われてしまったので、思わず顔に触れてみる。
「いいなぁ、昇さん。俺もこんな可愛い弟が欲しいぜ」
「欲しければ、ほら」
男の目の前に、義兄さんはてのひらを見せた。
「ん~……。一千?」
難しそうな顔しながら、俺の顔を伺いつつ口を開く。
「おいおい、冗談はベッドの中だけにしてくれって。そんなに安い男じゃないんだから」
「確かに分かるけどさ。友達割引とかきかねぇか?」
「勝手にオプションなんて付けるなってば。きっかり一億です!」
スッと立ち上がって俺の隣に座ったと思ったら、左腕を抱きしめるようにベッタリとくっついてきた。
「一億円の義弟、手触り肌触り、すっげぇさいこー」
「高い~~~っ! しかも目の前でズルイだろ。せめて、1時間レンタルとかないのか?」
(――1時間レンタルして、何をするつもりなのだろうか?)
ぽんぽん交わされる会話をぼんやりと聞きながら、隣にいる義兄さんに視線を移した。
俺が付けてしまった顔のキズは綺麗サッパリなくなり、前髪を短くしたお蔭で端正な顔立ちが露わになっている姿に、目を奪われてしまう。
そこにいたのは、俺が憧れた義兄さんだった。すっかり険がなくなって、いい表情をしているな――。
「なに穂高。まじまじとそんなに見つめるなんて、俺のこと惚れ直したの?」
「あ、いえ……。出逢った頃の義兄さんを、何だか思い出してしまって」
「や~い、否定されてやんの。可哀想な昇兄さんっ!」
「ふん、別にいいもんね。荒んだ心を千秋に癒してもらうから」
(千秋って義兄さん、どうして呼び捨てにしているんだ――?)
目を見開いて押し黙った俺を見ると、口元にイヤな笑みをわざわざ浮かべた。千秋をエサにして翻弄しようとしていることを、それで察知する。
「そっか、綺麗な水槽の持ち主は千秋っていうのか。こりゃまた、和風テイストな感じだな」
そんな作戦を先読みしたのであえて義兄さんの視線を外したら、俺たちのやり取りになぜか感心した声をあげた強面の男。
「水槽?」
言葉の意味が分からず首を捻ると、隣にいる義兄さんがクスクス笑い出した。
「昴さんとの会話に、水槽って言葉を比喩で使ったんだよ。俺たちのいる世界が汚い水槽で、千秋本人を綺麗な水槽ってね。魚のお前は綺麗な水槽の中で飼われて、安心して息をしていたから、いい顔していたんだと電話で喋ったんだ」
「そういう昇さんも、嬉しそうな声で教えてくれたけどな」
「うっせぇな、もう!」
珍しく声を荒げて慌てまくる義兄さんに、強面の男がニヤニヤしていた。
「なぁ弟くん。こんなトコでのんびりしてるけど、恋人のところに行かなくて大丈夫なのか?」
「はい。バイトで、夜遅くに帰る予定なんです」
「じゃあ、面白いコト教えてやるよ。お前の弱いところを俺が強くしてやる。ヤクザなやり方で……」
口元に妖艶な笑みを浮かべながらゆらりと立ち上がると、テーブルに左手をつき顔を近づけて、俺との距離を一気に縮めた。少しだけ細められた三白眼で、金縛りをかけるようにじっと見つめる。
「穂高の弱いところ、ね……なるほど。昴さん自らレクチャーしてくれるなら、俺は黙って見ていようっと」
固まった俺の隣で先程までの照れをさっさと消し去り、腕を組んで俺たちの成り行きを見守ってくれるらしい義兄さん。助けてくれと視線を飛ばしたのに、どこか楽しげな表情を浮かべ、あっさりとかわされてしまった。
「昇兄さんは君の成長を願っているみたいだから、遠慮なくヤってしまうぞ。おいコラ、目を逸らすな。お前の弱いトコはここだろ?」
遠慮なくという言葉通り、その部分を触れられた俺は――。
***「千秋……千秋、眠ったかい?」「…………」「ふっ。浮かれていたのは、俺だけじゃなかったのにな。何だかんだ言って君だって充分、浮き足立っていたよ」 驚いて大声を出せないように、出会い頭に手で口を塞いだのはそのためだったが、嫌がらせをした俺を非難しながらも、目がずっと笑っていた。 逢えて嬉しいってずっと誘うような眼差しで見るものだから、それに応えてしまった。考えもなしに、無茶苦茶にしてしまったんだ。「こんなに線の細い君を手荒に何度も抱いてしまって、悪かったと思ってる。ごめん……」 疲れきって眠ってしまった千秋の頬にキスをして、その身体をぎゅっと抱きしめる。 帰ってきたというか、戻ってきたというか――君の香りもぬくもりも俺への想いもそのままだっていうのに、部屋に押し入った瞬間、五感が敏感に反応してしまった。 まだ抜け切れていない昨日の宴会の雰囲気や、煙草の残り香が部屋の中に漂っていた。その場を楽しく過ごしたであろう千秋には大変申し訳ないが、1日お預け食らった分に嫉妬心が加算されたのは、いうまでもなく――。 久しぶりの再会だからこそ優しくしなければという、もうひとりの自分の言葉をしっかり無視して、力任せに床に押し倒して力任せに服を脱がし、力任せに抱いてしまった。 数歩先にはベッドがあるというのに、冷たい床の上に千秋を組み敷いた俺はあのとき、どんな顔をしていたんだろう。『あっ、はぁっ、……穂高さ……ん……ぅ!』 ――文句を言いかけた君の口を、まずは塞いでから。『さっきの言葉を言うまで、絶対に離さないよ千秋。止めてあげない』 耳元で囁いて、耳の縁をなぞるように舐めあげる。自分でも驚いてしまうくらいのアヤシげな声色に、千秋自身も相当驚いていたんじゃないかな。『はぁう…… ひっ……あっ、あっ……』 切なげな表情を浮かべながら甘い声をあげるこの姿は、俺だけが見ることのできる特別なもの。『いきな、り、どこさわ、あっ、ひゃっ……やめっ――』 いきり勃ったコレとか俺を感じさせてくれるココとか、千秋の感じる部分すべて、自分だけが触れることを許されているというのに。『止めないよ。もっと感じてごらん』 床の上で粋のいい魚のように動く淫らな千秋を、押し寄せてくる膨らんだ感情が更に追い討ちをかけた。 室内のむっとする熱気が、俺たちを包み込む。手早く
***『お預け食らった分、堪能させてもらう』だの『だから覚悟してくれ』と自分の言いたいことばかり言って、俺を好き勝手にした穂高さん。「お預け食らった分って、絶対に昨日の分だけじゃないって……」 床の上に押し倒されて、服を破りそうな勢いでさっさと剥ぎ取られた挙句に、貪る感じで俺を抱いた他に――ベトベトになった身体を綺麗にすべくシャワーを浴びてる最中だというのに、いろいろと施されてしまった。『ッ……やっ、だめっ!』『ダメじゃない、イイだろ千秋っ。言ってごらん』『ん、ひぁ、うッ!』『意地でも言わないつもりなのかい、困ったね』 困ったねと穂高さんは言ってるのに、その口調はえらく楽しげであり、余裕ありまくりすぎ。逆に余裕のない俺は、快感の波に溺れさせられて困り果てるしかなかった。 気持ちよさに身を任せたいのが半分と、羞恥心がせめぎ合ってしまい、どっちつかずのままでいる姿を後ろから覗き見て、闇色の瞳を細めてクスクス笑う。『性長期の千秋に合わせて、いろいろ手を尽くしていたんだけど――』(……何の話だろ?)『最近格段に感度が上がってきたせいで、俺も結構ヤバいんだよ』 穂高さんの艶っぽい声が、浴室内でよく響いていた。喋っている間、腰の動きを止めてくれたお蔭で、喘いでいた呼吸がなんとか楽にできる。『……何が、どうヤバイ、の?』 息も絶えだえ状態の掠れた声で、やっと質問してみる。この状態で穂高さんがヤバいのなら、俺なんて相当ヤバいと思われる。『鏡に映ってる千秋の感じてる顔と、千秋の中が異常に気持ちイイのが本当にヤバイんだ』 この位置がキモでね――と言いながら笑って俺の身体を肩を掴むなり、ぐいっと後ろから突き立てた。『んっ……な、何なのっ!?』 今まで感じたことがないそれに、気がおかしくなりそうだった。『ん……? その顔、少しだけつらそうだね。今までは、ちょっとだけズラしていたから』『ぁんっ、な、何でい、今ご、ろ?』 更に俺の身体をぎゅっと抱きしめる。こうして拘束されるだけでも中が感じるので、質問するのが必死だよ。『千秋が気持ちイイと、必然的に俺も気持ちイイんだ。引きずられてしまってね。だけど心情としては、少しでも長く一緒にいたいんだが、でも――』『……ん……あっ!』『君の口から直接、感想が聞きたくて。くっ……ほら、早く言ってくれ』『そ
*** 明日、列車で穂高さんがいる島に向かう――夏の日差しを浴びて、きっと日焼けしてるんだろうなぁ。 更にカッコよくなっているであろう彼のことを考えるだけで、顔の筋肉がつい緩んでしまい……。「いかん、いかん。仕事中なのに」 明日が楽しみすぎてぼんやりする時間があると、いつの間にか穂高さんのことを考えてしまった。(列車の中で、きっと居眠りしちゃうだろうな。宅呑みが盛り上がったせいで、仮眠が少ししか取れなかったし) コンビニで働く仲のいい友人と親睦を深めようと、月一でそれぞれの家を回り、宅呑みしてみないかという提案をしてみた。言いだしっぺの家が最初だって他のふたりが指摘したのだけれど、夏休みは丸々こっちにいないと言ったら急遽、昨日を来月分の前倒しとして俺の家で行うことになったんだ。 昨夜の宅呑みの疲れを引きずってるからといって、仕事の手を抜くわけにはいかない。稼ぎ時の夏休みのシフトに、穴を開けているから尚更―― 頭を振って、新商品の棚の整理に勤しむ。こうして集中していたお蔭で、気がついたら仕事上がりの時間になっていた。「お疲れ様でした!」 次のシフトの人に引継ぎをしっかりしてから、急いで自宅に帰る。少しでも睡眠をとって、穂高さんに心配かけさせないようにしなければ。こういう体の変化に敏感な恋人のことを考えているうちに、帰路に着いた。 ウキウキしながらカバンから鍵を取り出し、鍵穴に差し込もうとしたそのときだった。目の端に人影を捉えた一瞬の隙に、大きな手が俺の口を塞ぐ。それと同時に、太い腕によって体を抱きしめられてしまう。「んぐっ!?」「騒がないでくれ……。そのまま、家の鍵を開けてくれないか」 心に染み込むような低い声――聞き覚えのあるその声の持ち主は、ひとりしかいない。 振り返ってその人を確認したいのに、口を塞いでる手が見事にそれを邪魔した。それだけじゃなく背中から伝わってくるその人の存在が、俺を更に混乱させる。 汗ばんだ体温が、じわりと身体の中に侵食していくみたいに感じた。 鍵を持つ手がわなわなと自然と震えてしまって、上手く開けることができないよ。「どうしたんだい千秋。もしかして、俺を焦らしてるのかい?」 ふっと笑った感じが伝わったと思ったら、髪にキスを落とす。「ね、早く鍵を開けてくれないか? ずっと君を待っていたせいで、自制が利
***「やれやれ……。えらい目に遭ってしまった」 義兄さんの心の友だという、昴さんからレクチャーされたこと――。『穂高くんはイケメンで図体もアレも程よく大きいけど、心が滅茶苦茶小さくて弱いよな。残念ながら』 撫で擦った俺の胸元を、拳でトンと突くように軽く殴る。「俺のようなヤツが相手なら怖いのも分かるが、義兄の昇さんに逃げの姿勢ってどうよ?」「逃げの姿勢?」 言ってる意味が分からず、バカみたいなオウム返しをした。空気が読めないのにも程があるな。「おぅよ。恋人の名前をしれっと呼び捨てにされて、あからさまにイラッとしただろ。そんな態度を出したのに、さっさと逃げたじゃないか」「確かに……。イラッとはしましたけど、そこまで騒ぎ立てるものじゃないですよね」「穂高あのときのお前、嫉妬心を思いっきり目で表していたのに、そんなことを言うとは。大人になったというべきなのか、俺に弄られるのが恐かったからなのか」 俺の言葉に呆れたような声色で、ブツブツ言う義兄さん。「俺は絶対にイヤだね、そんなの。たとえ昇さんでも、迷いなく交戦すっけどな。好きな相手を自分のモノみたいに言われたり扱われたりするのは、やっぱり許せないと思わないのか?」「はぁ、まあ……」「この場に恋人がいて一部始終を見ていたら、どうなっていたか。怒りを抑えて変にカッコつけたお前を見て、愛されているんだろうかと愛情疑われるぞ、間違いなく」「……別に、格好つけてるワケじゃないですけどね」 俺のすべてを知り尽くしている義兄さんだからこそ、しなくていい争いを避けたかっただけなのだ。「その言い方も、実際カッコつけてるよなぁ。しかも目に出てるぜ、内心すげぇ焦ってるのが」「焦ってなんて――」「いいや、超絶焦ってるね。次はどんな図星を指してくるだろうかとハラハラしながら、焦りまくってるよなぁ穂高くん」 いきなり子どもをあやすように頭を撫でられてしまい、困惑するしかない。「俺たちの前だから、カッコつけたがるのも分かる。だがな、恋人の前ではそんなモン脱ぎ捨てちまいな。カッコつけて心の内を隠すと、恋人にいらない誤解を与えさせるだけなんだ。言葉で気持ちを伝えていても、すべてを伝えきれないからこそ、すれ違いが生じてしまうんだぜ」 どこか悲しげな表情を浮かべながら話してくれる内容に、じっと耳を傾けた。「千秋っ
*** 逃げるように出て行った穂高の顔を見て、ふたりして大笑いしながら大きな背中を見送った。「ちょっとばかし弄りすぎたかなぁ。でも俺としては、間違ったことを言ったつもりはないぜ」「まぁね。穂高のヤツってば、ちょっとズレてるところがあるし、誤解されるような行動を迷いなくやっちゃうからね。いい勉強になったんじゃない?」 笹川は目の前のソファに座り直して、三白眼の瞳をこれでもかと嬉しそうに細めながら、右手を差し出してきた。「なに、その手?」「整体料と指導料の徴収。友達割引して、きっかり10万円になります」「高っ!! ぼったくりバーと同じじゃないのさ」 ひでぇひでぇと連呼しながら怒ってみせると、自嘲的な笑みを浮かべて肩を竦める。「高くはないぜ。何てったって人生経験豊富な俺が、わざわざレクチャーしてやったんだ。昇さんはしたことがないだろ、駆け落ちとか」「打算的な人生を送ってる俺からしたら、それは絶対にない話だわ。逃亡先に幸せな人生が約束されているなら、喜んでしてやるけど」「駆け落ちした相手が昇さんと一緒で、打算的な考えをするヤツでなぁ。俺は何も知らずに、ほいほいついて行った結果、キズつく目に遭ったんだ。ま、それが原因で別れたんだけど。キズをずっと引きずったままでいたから、その後の恋愛が上手くいかなくてさ」(今まで昴さんに恋バナを聞いても、はぐらかされてばかりで全然聞けなかったというのに、一体どうしたんだろ?)「でも、何だかんだでモテそうだよね。違う意味で」「ハハハ、それは否定しない。確かに違う意味でモテていたから、ケンカに恐喝は当たり前の日常だったしなぁ。でもその中で、今の恋人に巡り逢えたんだ」 語尾が消えそうな声色で告げるなりガックリと俯く姿に、何て声をかけていいか分からない。「俺としては前の恋愛は終わったものだと割り切っていたんだが、心の奥底に引っかかったままでいたせいか、何かの拍子で態度とかに出ちゃっていたらしくてなぁ」「だから穂高にあんなこと……」「ああ。アイツ見てると、昔の俺み
*** 賑やかなホストクラブの店内を横目に、さっさと2階に駆け上がり、事務所の扉前に立ってノックをしようとしたのだが――。「ん……? 喘ぎ声?」 ハッキリとは聞き取れないが、高めの声が漏れ聞こえる。中にはオーナーである、義兄さんがいるはず。どこぞの誰かとヤっちゃってる最中なんてありえない。 俺が顔を出すと知っていながら、堂々とそういう行為をする人じゃないことは分かっていた。(基本的にイジワルな義兄さんだけど、こういう線引きはしっかりした人で、場の空気に流されることなく、むしろ相手を散々翻弄するタイプだからこそ、あり得ないんだよな、この展開は) いやぁっ! なぁんてエロい声をじっくりと聞きながら腕を組んで考えていても、埒が明かない。思いきって、扉を軽快にノックしてやった。「はぁっいっ、どうぞ……」 ドキドキする胸を抱えて、失礼しますと言いながらゆっくり扉を開ける。「ひっさしぶりっ……って、いってぇな、んもぅ!」 目の前に展開されている姿に、何て言葉をかけたらいいのやら。大きなソファにうつ伏せになって横たわる義兄さんに、見知らぬ男が跨っていた。「昇さん、もう少し体を労わらないと。これでもかなり、優しく施しているのに」 見知らぬ男が大きな手を使って、やわやわと腰を揉みながら俺の顔を食い入るように見つめる。その目が三白眼で、凄みが普通じゃなかった。義兄さんの新しい恋人だろうか?「そんなところに突っ立ってないで、座ったらどうだ」 唐突に強面の男に話しかけられ、頷いておどおどしながら向かい側のソファに腰掛けさせてもらう。その間も視線は、しっかりとこっちに釘付けのままだった。「ふぅん……、いいモノもってるのな。流石は、元ナンバーワンホスト。随分、啼かせてきたんじゃないのか?」「ちょっと昴さん、いきなり初対面でそれを指摘するとか、卑猥すぎるんだけど……って、いたたっ!!」「はいはい、年寄りは黙って揉まれていればいいって。それに初対面だからこそ、俺の特技を披露したまでだし」 なぁと気安く話しかけられ、会話に入れ